カテゴリー

日本の母の日

人気のお店

家族で楽しむ母の日

予算の平均

お母さんと一緒に旅行

海外の母の日

手作りプレゼントを贈ろう

人気の母の日プレゼント

働くお母さんへ

お母さんが喜ぶプレゼント

感謝の気持ちを伝えたい

感謝を贈ろう母の日

一緒に過ごす母の日

いつも元気で居てほしい

欲しいものを聞きたい

いつも綺麗でいて欲しい

プレゼントの通販

お母さんとの思い出話

母の日の思い出

気持ちの伝え方

母の日イベント

母の日用ラッピング

母の日限定のサービス

なぜカーネーション?

癒しの温泉旅行を贈ろう

美味しい料理で労おう!

親子で楽しむ旅行

貰って嬉しいもの

贈られたいプレゼント

選べるギフトを贈ろう

  • 母の日の思い出
  • 母の日ではなく、母のように思っている人の日に

    母の日。
    私には関係も興味もない日でした。
    私が3歳の時、母親は家から出て行きました。
    出て行ったというか、いなくなっていたと言った方が正しいのかもしれません。
    3歳の頃の出来事ですが、その記憶は今でも鮮明に覚えています。
    朝起きると母はいませんでした。
    父親と一緒に一生懸命探しに行ったのも覚えています。
    ですが、母は見つかりませんでした。
    その日から私や妹、生まれたばかりの弟たちに母親という存在は消え失せました。
    幼い子供を男手一つで育てるのは容易ではなく、私たち4人兄弟は施設に預けられることになりました。
    いつもそばにいるのは、母親ではなく施設の先生。
    母の日などやってくるわけがありません。
    年月がたつにつれ、施設で生活していることをコンプレックスに感じるようになりました。
    遠足で食べる弁当がプラスチック容器。
    紙に包まれていて、開ける時にガサガサという音をたてます。
    友達のお弁当は可愛いお弁当箱に入っており、愛情たっぷりの手作り弁当でした。
    施設の子供たちは3分の2がおにぎりで占めていて、箸は割りばしでした。
    それが普通の状況ならば何も感じることはなかったのかもしれません。
    だけど、そうではなかった。
    ある人と出会うまで、私は自分のためだけに作られたお弁当を食べたことがありませんでした。
    もちろん、誕生日プレゼントもそうです。
    施設に預けられてから、父親にも誕生日プレゼントをもらったことがありませんでした。
    施設とはそれが普通のことでした。
    けれど、施設の行事で里親の会というものがあったのです。
    恵まれない子供のためのボランティア活動でした。
    そこで私は、ある一人の里親と知り合いました。
    子供一人に一人の里親が割り当てられる制度で、小学生の私には里親という意味もわからずただ先生の指示に従うままでした。
    その人はとても髪が短い、スラッとした40代ぐらいのおばさんでした。
    私のために朝早くからお弁当を作ってきてくれていたのです。
    そしてプレゼントも用意してくれていました。
    誕生日ではなかったけれど、私のために悩み、買ってきてくれたことがすごく嬉しく思ったことを覚えています。
    お弁当も今まで見たことがない豪華なものでした。
    本当に嬉しかった。
    それから年に2回でしたが、その人と会うのが楽しみになりました。
    手紙のやり取りもしました。
    最初はお礼の手紙を書く程度でしたが、ちょっとした悩みを相談したり、今度はこんなお弁当が食べたいなど色々書いたと思います。
    会えば暴力をふるう父親よりも、その人が母親だったらどんなにいいかと思っていました。
    だけどその人には家族がいて、娘さんが2人いました。
    私とは所詮家族ごっこ。
    そう思うと、なかなか本音でぶつかり合うことはなく母親のように思うことはおこがましいことだと思っていました。
    大きな壁が出来ていたことは、その人も感じていたことだと思います。
    そんなある日、その人から手紙が届きました。
    その手紙には、こんなことが書いてありました。
    私のことは3番目の娘のように感じています、と。
    涙が止まりませんでした。
    私がずっと心の中に閉じ込めていた想いを、その人はその人なりに考えていてくれていた。
    その日以来、私はその人のことを母親のように思うようになったのです。